戦の詳細
毛利攻めの総仕上げとして羽柴秀吉が備中高松城を水攻めにした戦い。黒田官兵衛の献策で堤防を築き城を水没させる前代未聞の戦法を採用。城主・清水宗治の切腹を条件に毛利と和睦が成立した直後、本能寺の変の急報が届く。秀吉は変報を秘匿して毛利と速やかに和睦を結び、「中国大返し」を敢行した。
1582年4月〜6月
| 戦名 | 備中高松城水攻め |
|---|---|
| 時期 | 1582年4月〜6月 |
| 場所 | 備中国・高松城 |
| 結果 | 羽柴軍の勝利(清水宗治切腹) |
毛利攻めの総仕上げとして羽柴秀吉が備中高松城を水攻めにした戦い。黒田官兵衛の献策で堤防を築き城を水没させる前代未聞の戦法を採用。城主・清水宗治の切腹を条件に毛利と和睦が成立した直後、本能寺の変の急報が届く。秀吉は変報を秘匿して毛利と速やかに和睦を結び、「中国大返し」を敢行した。
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戦国図鑑アプリを見る堤防を築いて城を水没させる水攻めを実施。本能寺の変の報を受け即座に和睦し中国大返しを決行。
水攻めの立案者。本能寺の変の際「御運が開かれましたな」と秀吉に天下取りを進言したとされる。